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「販促番長!!」への道

山本 大が、いかにして販促番長!!となり得たか

1965年 杉並は高円寺で誕生。

父親の転勤で転校を繰り返す。
埼玉の越谷 → 大阪の西宮 → 神戸市の須磨区 → 同じく神戸の垂水区。
イジメには屈しない根性を習得。 どこへ行っても番長キャラとして君臨する。

山本 大 写真そして、川崎に戻り、就職等 試行錯誤の末、結婚&最愛の子供たち誕生。
千葉県に根を下ろす。

…「男、山本 大」を形成する上で大きな流れは上記の通りですが、もっと大事なことを今日は語りましょう。それは、「職業人としての山本 大が、いかにして販促番長!!となり得たか」です。

名づけて…
販促番長!!への道 Byアシスタント風音

川崎時代、相模工業大学卒業後、在学中からのバイト先である寿司屋でふらふらと働き続ける。
しかしただの「フリーター」にはなれないのが番長。
彼の有能さを示す逸話として、こんなエピソードがあります。

営業時間も終盤にさしかかると、いつも店内は常連客だけになり、店の旦那や女将さんは厨房でお食事タイム。その間に、お客様の話し相手となり、果ては簡単な握りや巻き物を提供するのが、当時の番長に任されたミッションでした。
ちなみにその腕前は、ちゃんとお客様からお金を頂けるほどだったというから驚きです。

山本 大 写真もともと同級生の父親でもあった店の旦那に、『娘と結婚して店を継いでくれ』と言われたが、そこは男らしくキッパリとお断りした番長。
そのときのセリフは、『いやー僕のタイプじゃありませんから』。
…後述で、番長本人も「相手への気配りがまだまだ欠けていた、若い時代であった」と反省しております。いやはや本当に失礼でしたね。

そんな時に、フリーターを続ける番長を見かねた親戚の叔父さんが、自ら専務を勤める製版会社の営業に無理やり就職させてくださいました。本当にありがたいお話です。
(このあたりのいきさつにも面白い話が盛りだくさんなのですが、本筋とは関係ないので今回は自粛いたします)

親切な叔父さんの想いもむなしく、当時の番長にとって製版会社でのお仕事は「はっきり言って、まったく興味もなく楽しいとも思えなかった」とのこと。…ひどいですねぇ。
しかし、職場恋愛を経て結婚をし、長男がお腹にいる時に、…なななんと叔父さんの会社は倒産してしまいます。(結婚に関しては特に面白エピソード満載ですが、今回は割愛いたしました)

独身ならいざ知らず、お腹の子供は待っててくれません。即収入が必要だったので、当時の流れで印刷会社へ転職を果たします。けれどやはり、仕事の喜びを感じることのない日々。それでも、有能な番長は立派な印刷営業として成長を続けていきました。

そして紆余曲折を経て、番長は弘和印刷の社長、瀬田章弘と知り合うのです。
瀬田曰く、「山本と初めて会ったとき、コイツはできるな!と感じたよ。俺は番長にかけてみようという気にさせられたんだ」。 …瀬田が番長のどのあたりに感じ入ったのかはいまひとつ不明で、実はただの勘違いというウワサもありますが、ともあれ番長は瀬田の傘下に収まったのです。

山本 大 写真さて、瀬田との出会いで番長は何かを得たのでしょう。
実はこの頃から、番長の心に少しずつ変化が起こってきました。

それははじめ、小さな疑問の形となって表れました。
「確かに俺は仕事をさばくのが上手いし自信もあるけど、お客様に本当に喜んでいただくには、このままでいいのだろうか」
長く受注型印刷営業として特化してきた番長にとって、これは正に、自らの存在意義に関わることでした。

「心のどこかで『このままじゃダメだ!』と危機感が芽生えていた」と、当時を振り返って番長は言います。
「…それからはいばらの道が始まった」と。

いったん芽生えた危機感は、またたく間に番長を変えました。
焦り、もがき、苦しみ。 絶え間ない煩悶と自信喪失が番長を襲います。

…そんな番長を救ったのは、お客様からの感謝の言葉でした。
「山本くん、ありがとう。一緒にいろいろと考えてくれたから、本当にいいものが仕上がりました」

番長は気づくのです。「そうか、この言葉がうれしかったから、俺はこの仕事を頑張れるんだ」と。
そして、どうしたらもっとお客様に喜んでもらえるか、さらに真剣に考え続けた結果、「チーム販促番長」の立ち上げへとつながってゆくのでした。

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